
病院で待っている間、結局のところ自分がやれることはたかが知れてる。緊急時の病状を回復させる手伝いは、祈ることしかない。じゃ、具体的に何をするか。祈りの時間のプレゼントでも考えるか。身近にあるもので費用はあまりかからないもので時間と手間がとてもかかるもの。手編み系それは無理。じゃ千羽鶴。完成して病室に飾られ、今でも自慢げに大事にしている様子の千羽鶴。やっぱりそんなもんなんだな。
そんな認識でいた数年後、メルカリで千羽鶴を作って売っている人とそれを買う人を発見して書きたくなった記事。
千羽鶴
千羽鶴
そういえばこの千羽鶴、折ったよな、と思い出しました。祈ったことによる効果はどうであれ、一人暮らしできるまで復活を遂げた父親の生きる意欲に、ある意味迫力さえ感じます。
千羽鶴。
綺麗に仕上げることを考えたら折作業以外に仕組むべきことがいろいろあります。
・タコ糸の長さは同じにする
・ビーズで固定すると見た目よし
・束を構成する1本を25個配列にして40本にするか、20個で50本にするか。
・それによりグラデーション配色するために同じ色を40個か50個でまとめる
・最上部は鉄の輪っかで結束すると飾るときS字フックとかで使いやすい
云々。。。他にもどれくらい時間かかるか計算してました。
ふと「千羽鶴の作成過程は祈りそのものだよな」と、当時を思い出し、そんな商品ってそもそも世の中で売られてるの?売ってたらなんか嫌だな。と疑問を感じて検索しました。
どんぐりからお札まで何でも売られている評判のメルカリ。検索すると、出てくる出てくる。千羽鶴1500ー3000円の価格帯で取引されています。
買う人はどんな人なん?「送料値引きして」とか「送料込みで今日発送してくれるのなら買う」とかのメッセージやりとりがあちこちにある。「俺はお客様。神様だぞ」があちらこちら多発している印象です。
一方、販売する側も、150回売った実績があります、とか・・・。好評につき特別の飾りをつけます。とか。千羽鶴を商品として数千円で売る。
買う側は原価数百円の折り紙の塊にどんな目的を持って数十倍のお金を出して買うのだろう。その千羽鶴は何に使うのだろう。もし万一、人にあげるとしたら、そのときはどんな言葉を添えて渡すのだろう・・・。
売る側にとって千羽鶴は単なる製作物なのだろう。手先の器用な人が余った時間にちょいちょい折って、小遣い稼ぎ。お守りやお札を作る人たちも作るものは製作物。千羽鶴も同じ製作物。これら同じ祈りがこもるジャンルにあるものだ。製作側としては、まぁそう捉えても良い、のかな。
一方で買う人。家の飾り?自分用?人にあげる目的で買う(それも値切る)としたら、祈る時間とか自己犠牲とか義務先行とかは考える必要がないと割り切れる人たちが求めるのだろうか・・・。
千羽鶴の価格、時給計算したら、結構な額になると思います。
試算してみます。
ーーー
※一つ一つを丁寧に仕上げたかったので1個10分の目安で作った経験から。
60分で6個のペースだったので
↓
↓
10分で1個できる。
↓
100分で10個つくれる。
↓
1000分で100個となる。
↓
10000分で1000個完成する。
10000分を60分で割ると時間が出る。
↓
10000/60=166.6666666・・・
だいたい=>167時間。
時給計算。
時給(@600)x167時間=100,200円
じゃ、1日3時間やったとして・・・
167÷3=56日
3時間を続けること56日で折りが完成。
ーーー
時給が600円としたらつるは1個100円です。時間給で計算したら10万円ちょっと。
こんな価格でも「最低賃金以下で試算された価格」です。それが数千円程度の対価で提供される現実。
自分で作った手前、そんな市場があるんだな、と、なんだかとても残念な気持ちになり、さらに「送料込みで今日発送してくれるのなら買う」と言われて「はい」。そう言わないと失礼になるような交渉の雰囲気が追い打ち。
とてもとても残念な気持ちになって、そもそも祈るということが主体となった成果物だよね、と。
そこで、昔、漫画で読んだことのある「千人針」なるものを調べようと思いました。戦地に持っていくのにひとりひと針で祈りを込めて渡す「千人針」。
ひとりひと針で祈りを込めて渡す「千人針」を調べた
千人針
出征兵士の無事を祈るために、千人の女が一針ずつ、赤い糸で布きれに縫いだまを作って贈ったもの。
実際に千人の祈りを集めるのに、誰かが中心になってお願いしないと出来上がるシロモノではありません。恐らく奥さんとか。それを腹巻きにして戦場に赴いた皆さん。心の温かさはどれくらいだったでしょう。当時は南方が多くなったため、腹巻きは不要になってきたとか。そこで出てきたのが日の丸の寄せ書き御守。
関連キーワードでこちらも検索されてます、と「千人針 オークション」なるリンク発見。
ここも千羽鶴のような世界が展開されてるのか?
いや、逆に今でも依頼を受けて作ろうとしている人がいるんだ、千人針ネットワークがあって。それの主催者?買う人は自衛隊とか?競技選手とか?誰だろう。
そんな思いで見たら、全然違います。今度は「実際に使われた骨董品扱いで販売シリーズ」でした。
販売画像が醸し出す全体の雰囲気が苦しいです。すぐ閉じました。
戦地に持っていかれた祈りの心が込められた品が小遣い稼ぎ(でなければどんな理由?)のため商品として販売されています現状。これを持っていた亡き持ち主は、どういう気持ちでいるのでしょう・・・。
ひとそれぞれなのでいろんな意見と感情があると思います。
が、
それらの行動、人として間違ってはいませんか?
そう自分には思えました。
千人針の意味や背景を知りたい
そもそも千人針の意味や背景を知りたかったので、元に戻り、再び検索してたら、こんな記事がヒット。
何やら、イギリス兵がビルマ戦線で千人針を拾ったので、日本の遺族に返してあげたいのだけど、どうすればいいの?という返還作戦の協力ができて良かった、と。
そんなことから始まり、最前線で苦労したお話しを昔にさかのぼってくわしく書かれています。
90歳を越える紫蘭さんのブログを数時間ほど読みあさる
で、ここから、この紫蘭さんのブログを読み進めること数時間。94歳が語る戦時中の体験談と年齢に左右されない自由なキャラクターの意思が伝わってきて、そんな小さなことでモヤモヤする心が浄化されました。
94歳ブログ「紫蘭の部屋」の筆者
ペンネームは「わしゃーしらん」とのことのようです。
人生を深いところで歩いた経験のある方の話は、迫力と言葉の重みが全然違います。これ、年の功とかではなくて、自分より若い子からも滲み出てますときが見受けられます。深さや考える基盤が大事なんですね。
歩いた経験の深いところから知肉となった量や質に応じてオーラがにじみ出てくる。そう感じます。
書くことをロジカルに考えてみる
簡単な言葉でまとめるのが失礼なのですが、ロジカルに考えると、これまで最も投入してきた時間が多いもの、それこそが、無尽蔵に書き続けることができるネタです。
知識ゼロから学ぶものは、実体験少なく、座学知識も未達。なので良きコンテンツを見据えて書き始めると、必ず迷走するハメになります。猿真似がこの時期かと。
対象について知見を広げたい人、対象についてとても困っている人が、それを既に実践してきた体験談に触れると、それら物事が見事に立体化されていく。
体験談は未踏の経験をこれから始める人や興味あって知見を広げたい人にとって最高の教科書です。
体験やエピソードは過去体験を見事に切り取ったもので、かつ見方を変えると現在を行ったり来たりするものです。見て聞いて感じて今日までの時間というもので燻製にされた言葉なので、それ自体が立体的。
そんな立体的な情報をいくつか持つと、考える幅が大きくなり向き合う対象物を立体的に捉えることができます。
体験、エピソード、部分的に既視感ある情報に触れると、知識欲を超える何かにスイッチが入りその世界に没頭していく。生々しい体験を読むと特にそう感じます。
読み進めて感じたこと
インパール作戦に参加された記事から、その時代の価値観や言葉、周りの人の考え方、体験を綴ることが、いかに大事か感じました。戦争は悲劇そのものです。けども時代の価値観で判断されていく情報は、時代ごとに解釈が変わっていくので、本質が曲がる。
戦争賛美はまったくしません。する気もありません。けども国を守る戦争に一市民が参加せざるを得ない状況で、家族のために命を投げ出してきた事実を、自分のこととして味わう時間はとても意味のあるものだと思います。人としての行動賛美になっていますが、想いに価値がある体験をしてきた皆さんだと思います。
善良な一般市民の気持ちに継承されて、今日まで伝わってきた千人針や日の丸寄せ書きだと思うのです。
オークション出品されて落札した、善意の第三者さんは、そこらへんの事情を知らずに生活できます。単純に対価を払って正式に購入する「モノ」です。この仕組みで祈りや背景が全部リセットされる感じです。
けども、そういうオークションでなんでも売る小遣い稼ぎをする世相というかユーザーが多い現状を考えると、どうなんだろうと思います。そういうものはお墓に入れてあげるとか、実の子が逝去されて荼毘に付すとき一緒に棺に入れるとか、とにかく非日常のキワで処理というか消えていくものじゃないのかと。
それ以外は、「知覧特攻記念館」とか「靖国遊就館」とかで大事に保管すべき遺品と考えます。
話戻ると、小遣い稼ぎは悪いことではないと思います。ただ、出品してる物に敬意を持っているかどうか。の部分です。別に難癖をつける気はまったくありません。単純に悲しかっただけです。
最後にまとめ
90歳を超えて、誰が読むかもわからない自分の実体験、昔話をきちんとまとめている姿勢とその継続する志に脱帽です。それとともに、過去の体験を話したい先輩方も、それに習えばいいのではと感じました。
介護ステーションとかデイケアとかで、お世辞で聴いてるスタッフに一生懸命に話すのではなく、自分のように求めて読み進める読者に向けて。希望する人は多くいると思います。未来にもいるハズです。
そんなことは、まるっと自分にも、そしてこれを今読んでいる皆さんにも言えることです。どんな体験でもそれを伝えることは、とても価値あることです。少なくとも自分はそう思います。
想いや祈りなど、目に見えない行為が込められたものを粗末に扱うのは自分に合わないと思ったので、なんか趣旨もなく突然に書いて、ここまで来ました。
記事の需要があるかどうかに関係なく、大事だと思うことは大事だと言える人でありたい。紫蘭さんが書く生死のキワを生きてきた人生の先輩の体験談を読んで思いました。
昔の話、戦争の話、なんでもいいのだけど、ブログにしておく。すると、いつかどこかの誰かが読んで、先ほどのように救われる。そう感じた数時間でした。
最後に、ご本人が、「若い人たちのためにそんな体験記を書いて置いたら」、とすすめています。
ホントすごいね。。。
あと、千羽鶴。自分で作って持っていったほうがいいんじゃないかな・・・。
お歳暮やお中元のように、人にあげる「モノ」はお金を払ったら解決。
宅配で済ませることができる時代。
これでいいのかな。千羽鶴。